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駆け出しの翻訳屋といいながら早数年。 学習したことをちょこちょこ書くつもりでしたが、最近は余暇の話が多いような。。。 そもそも、いつまで駆け出しなんだ?!
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Twitter で「名刺代わりの小説10選」というタグを見つけて、「おっ!いいね!」と思っていたのですが、私なら何を選ぶかな、、と考え始めて、ふと以前にそんなことをした覚えがあるな、と思い出しました。そして、古い HP のバックアップを探して、発見! なんと、約20年前に作成した「心に残る本」というタイトルのページです。
今見ると、20 年の間に新しい本の記憶も積み重なって、印象が薄れたものもありますが、逆に新鮮に思えた部分もあるので、メモ代わりに再掲しようと思いました。(ちょっと偉そうに語っているのが気になる部分もあるけど。^^;)


ミステリ Best 10
1. 「十角館の殺人」綾辻行人

「館」シリーズはどれも面白いですが、最初にあっと言わせたこの作品がやはり一番でしょう(ネタばれになるので詳しく言えないのが残念)。ミステリ好きな人だけでなく、すべての本好きな人にお薦めしたい本です。

2. 「魍魎の匣」京極夏彦

「妖怪シリーズ」もすべて好きです。中でも、「匣」は物語の緻密な構成、摩訶不思議な世界の構築といった点で、No.1だと思います。

3. 「すべてがFになる」森博嗣

トリックとしては賛否両論あるかもしれませんが、理系には受ける作品と思います。個人的には文句無しに面白かった。本筋と関係ない部分の小技も好きです。

4. 「姑獲鳥の夏」京極夏彦

「妖怪シリーズ」で2番目に好きな作品。本格物の好きな方は怒るかもしれませんが。。。主人公に同一化してしまった私は、幻惑の世界を旅しました。

5. 「匣の中の失楽」竹本健治

これをミステリに分類するのかどうかというのも問題になるところ。でも、まさに迷宮の中をさまようような面白さです。ミステリという分類に拘らなければ、この作品をBest 1にしても良いと思っています。

6. 「殺戮にいたる病」我孫子武丸

スプラッタもののような描写に「耐えられないーっ」と投げ出したくなりましたが、途中ではやめられず、最後のどんでん返しで、あーっ!と驚きました。やはりBest 10からは外せないです。

7. 「クラインの壷」岡嶋二人

バーチャルリアリティが流行る前に書かれた作品ですが、SF的な感はなく、非常にリアルに話に引き込まれます。リアリティとか認識という問題についても考えさせられます。ちなみに、「クラインの壷」は「メビウスの輪」の1次元upバージョンのようなものですが、数学屋以外の人間に「クラインの壷」を知っている人がいるとは思えない、と友人は言っていました。真相はどうなんでしょう?

8. 「金閣寺の惨劇」/「銀閣寺の惨劇」 吉村達也

吉村氏は一般的なミステリのアイデアというよりも、企画ものが好きなんですね。で、この本は2冊同時に発売して、それぞれ独立した小説でありながら、どちらを先に読んでも、2冊目を読んだとき、新たな事実が浮かび上がるという企画でした。ひねくれ物の私は「銀閣」から読み、2冊目でわかる真実に衝撃を受けたのですが、果たして「金閣」から読んでも同じ衝撃を受けたのかどうか、気になってしょうがありません。

9. 「パラサイト・イヴ」瀬名秀明

この本はミステリというよりもホラーに分類されるのでしょうか。しかし、単に怖いとか気持ち悪いという話ではなく、生物学的な面白さ(生物学的ミステリとでもいいたい)や、心理サスペンスに惹かれました。

10. 「ネフェルティティの微笑」栗本薫

栗本薫氏の作品は、昔、片っ端から読んだものですが、その中で一番心に残っているのがこの本です。ライトミステリとでも分類したい内容です。氏の推理小説も面白かったのですが、この本の最後で「あっ、やられた」と思ったときの感触が、当時とても新鮮でした。今となっては、同じ手法を推理小説に活かした作品もありますが。。。

<後記>うーん、難しい。。。昔読んで感動した本などは、今読んでも面白いんだろうか、とか考えてしまうし、クリスティやクイーン、クロフツ、ポーなどは「心に残る」というより、もう定番ですから、かえって挙げにくいですね。



その他の本

「アルジャーノンに花束を」ダニエル・キース

本好きの人には堪らない作品と思います。活字でしか表現しきれないものもあるという代表例、というより、最高傑作です。内容的にも、展開の面白さ、知の喜び、感動、切なさ、すべてが詰まっています。

「沈黙」遠藤周作

読んだのは、中学・高校のころですが、実は2度読みかけて挫折し、3度目の挑戦でやっと最後まで読破しました。そのとき本当に目から鱗が落ちた気がしました。

「蟻」ベルナール・ウエルベル

見かけは子供でも読める物語。でも、知的好奇心をくすぐられるような不思議な小説です。ファーブル昆虫記と冒険小説にミステリのエッセンスをふりかけたような感じです。

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話題本とはつゆ知らず、大どんでん返しがあると聞き、読んでみました。
予想以上の衝撃と余韻。
これは読んで良かった。

設定は現代。山奥の地下建築に閉じ込められた9人。
1人が犠牲になれば他の全員が助かるという状況で、どうやってその1人を決めるのか。
そんな状況で殺人事件が発生し、その犯人こそ犠牲になるべきという話になる。
いきなり、こんな設定から始まるストーリーです。

読んでいる最中から、自分だったらどうするのかと考えずにはいられません。
そして、最後のどんでん返し。
すべての謎が解けます。きっとこれだけはモヤッとしたまま残るだろうと思っていた謎も解けます。衝撃の中にも、ある意味、爽快感があります。

衝撃が過ぎたあと、いろいろと考えてしまいます。
思い返して、考えて、ある意味納得して。。。
読んでいる最中は、どういう結末であれ読後感は良くないだろうなと感じているのですが、衝撃のあと、あれこれ考えていると、意外と後味は悪くない感じです。
それよりも、もし自分だったら、、、という考えに、3日間くらい頭が支配されてしまいました。

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「凍りのくじら」を再読しました。

通常、気に入った作家さんの本はまとめて一気に読むことが多いのですが、辻村深月さんの本はすごく気に入ったものとそうでもないものに極端に分かれるので、これまでまとめ読みしていませんでした。
ですが、ふとしたきっかけで、やっぱり順番に読んでみようかなという気になり、なるべく年代順に読んでみました(まだ途中)。

「凍りのくじら」は、実は読んだ記憶がありませんでした。^^;
なのにブクログで検索したら、登録しているじゃないですか!
「読んだ?!」と思って、読書メモを開いてみたら、、、
「以前に読んだことを忘れて、また読んでしまった。読み出したら、すぐに気づいたけど、展開が思い出せず、はまった。途中で何度も泣いてしまった。いや、良かった。」
と書いてました!!!
な、な、なんと、一度読んだのに忘れて、また読んで感動したのに、また忘れてたってことですよ!!大丈夫なのか、私の頭?!
しかも評価は☆4つ。私の中では最大の評価。そんなに気に入ったのに 2 度も読んだことを忘れてる。。。

うーむ。。。とりあえず目次を開くと、すべての章のタイトルがドラえもんの道具の名前。(ええ?ドラえもんの道具が出てくる話?やっぱ覚えてないなぁ)
プロローグを読むと、氷詰めになった鯨の話。(これは覚えている。でも、これとドラえもんがどう関わるの?)
ぱっと見、あまり気に入りそうな感じではない。でも☆4でしょ。読んでみるしかない。。。
で、読んでみました。

主人公の理帆子は、まわりを見下しながら自分の場所がないと感じている。ホントの自分を隠してうわべだけの友達付き合いをしているが、ふとしたことで出会った別所にだけはホントの自分をさらけ出すことができる。一方で、元恋人ともうわべだけの付き合いをずるずると続けているうちに、だんだんとやばいことになってきて・・・というストーリー(めっちゃアバウト)。
理帆子は、友達とも、母親とも、元恋人とも、距離を置いて上から目線で見ているようでいて、実は違う、ホントの心は違うってことを自分で知ることになる、、のかなぁ。

読んでみて、読んだのに覚えていない理由がなんとなくわかりました。
まずタイトル。鯨の話は印象的ですが、ストーリーの一番のキーってわけではない。キーワードは「鯨」ではなく「光」。鯨の話も光に関係するのだろうけど、「凍りのくじら」から「光」はすぐに連想できない。
そしてドラえもんの道具。ドラえもんの道具は、父親との思い出であり、別所との話のキーになる部分。この話はどれも面白いのだけれど、ストーリー展開とは直接関係ないので(ストーリーにとって重要ではあるんだけど、展開とは関係がない)、この章タイトルから展開は思い出せない。
ということで、一番印象に残った理帆子の心の動きや、理帆子を守った光の話がタイトルや章立てから連想しにくいので、タイトルを見ても読んだことを思い出せない(と本人は納得しました^^;)。

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久しぶりに本を処分しました。
いつもは本棚からあふれている本がなくなることを目指して100冊ほど処分するのですが、今回は本棚の中の本も大幅に見直して200冊ほど処分しました。かなりすっきり。

本棚の中にはお気に入りの本を入れるエリアがあって、そこは長い間見直したことがなかったのですが、今回そのエリアも見直したことで、ちょっとした「発見」もありました。
特に本を二重に並べている部分の奥に隠れている本。隠れてはいますがお気に入りの大事な本のはず。。。
あ、、、あぁ、そうだ。こんな本があった!^^;
昔は心のより所みたいな大事な本だった(思い出したときには既に過去形)。
今はもう、このあたりの本はいいかな。。。
まさか本の処分で人生を振り返るとは思いませんでした。^_^;

そういえば、少し前に「銀河鉄道の夜」を読みたいと思って、「以前に買ったような、、、」と思いながら本棚に見当たらず、電子書籍で買ったのですが、今回文庫本が出てきました。まぁ、電子書籍があるからいいか、ということでこれも処分。

さらに電子書籍で買った「父からの手紙」も、読みながら「こんな設定、前に読んだことがあるなぁ」と思いつつ、思い出せないまま最後まで読んだのですが、本棚の奥から文庫本が出てきました。^^;

こういうことが無いようにと思って、数年前からアプリで本を管理しているのですが、さすがにそれ以前に買った本まで遡って登録する気にはなれなかったもので、仕方ないですね。。。
しかし、読み終わっても思い出せないって、どんな記憶力なんだ?!

ま、そんなこんなで200冊ほど処分しましたが、買い取り価格が付いたのは約半分。明らかに状態が悪いものは入れてないのですが、やっぱり傷や焼けがあったのかなぁ。まぁ、半分でも再利用してもらえればいいとしましょう。

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なぜ、今「青い鳥」?...という話から書かねばなりません。^^;

子どもの頃(たぶん小学校3年生くらいのとき)、「青い鳥」の話が大好きで、子ども向けの文庫本で何度も読み返していました。中でも好きだったのが、これから生まれてくる子どもたちの世界の話です。わざわざ栞をはさんで、そこだけ読み返したくらいです。たしか青い世界で、子どもたちはみな、何かを持って生まれてくるのです。僕は○○を発明する、私は○○を発見する、と子どもたちが言うのですが、特に印象に残ったのは、「病気を持っていく」という子どもがいたことでした。ほかの子どもたちが明るい未来を持って行くのに対し、「病気を持っていく」というのも有りなんだ!というのがとても印象的だったのです。

その後、大人になってから(大学生だったか、高校生だったかもしれません)、この話を思い出しました。そして、あの「病気を持っていく」という話は何だったんだろう、と気になりました。その頃には、子ども向けの文庫本は処分されていたので、新潮文庫か何かの「青い鳥」を買って読み直しました。
...ですが、読み返した感想は、「ん?」でした。^^;
「病気を持っていく」という子どもは出てくるのですが、記憶にあるのと何かが違う。。大した意味を持たせているわけではなく、さらっと過ぎていく感じなのです。
釈然としないまま、「子ども向けの本で読んだから、ちょっと中身が違うのかな」などと考えて、そのまま放置しました。

それから○十年が経ち、先日なぜか突然、この話を思い出しました。
それで、もう一回読もうという気になったのです。

前回の経験があるので、子どものときに読んだのと同じ本を読もうと思いました。
たしか岩波の子ども向けの文庫本、と思って調べてみたところ、どうやら岩波少年文庫のようです。装丁は変わっていますが、今も「青い鳥」があります。
しかし、ここで、岩波少年文庫の中に「新訳」と書かれているものがあることに気づきました。そうです!もう何十年も経っているので、当然、装丁だけでなく訳者も変わっているものがあるのです。同じ本を読みたいという思いがあるので、装丁はともかく、訳者は同じであってほしい、と思いました。

現在発行されている「青い鳥」の訳者は末松氷海子氏です。
Wikipedia で調べたところ、末松氷海子訳の「青い鳥」は1979年に集英社から発刊され、その後、岩波少年文庫に収録されたようです。岩波少年文庫になったのが1979年としても、年代的にたぶん私が読んだものではありません。^^;

うーむ、当時の訳者をどう調べたらいいだろうと思っていたところ、「岩波少年文庫の装丁の歴史」という記事(子どもの本とおもちゃ:有限会社 百町森さんのサイト)を見つけました。ここでは岩波少年文庫を第1期~第6期と称して整理していますが、私の読んだ本は間違いなく第3期です!一冊ずつ箱に入っていて、タイトルごとに表紙と背表紙の色が異なり、本棚に並べたときの色の配置がとてもきれいだったことを覚えています。

そこで、岩波少年文庫第3期の「青い鳥」を探しました。ネットで中古本を探したところ、「青い鳥 岩波少年文庫 19」というのがありました。発行が1973年!ぎりぎり第3期だし、たぶんこれで間違いなし!というわけで、これを購入しました。訳者は若月紫蘭です。
改めて読み返してみると、単なるファンタジー小説ではありませんね。人間は動物や植物にひどい仕打ちをしているのではないか、幸せというものを勘違いしているのではないか、本当の喜びはもっといろいろなところにあるのではないか、などなど、考えさせられる部分があります。

さて、問題の「これから生まれてくる子どもたちの世界」は、「未来の国」という章でした(戯曲なので正確には第五幕)。
読んでいくと、「そうそう、そういう話だった」と思うのですが、、、あれ?「そういう話」というのは、子どもの頃に読んだ記憶か、大人になってから読んだ記憶か、そもそも元の疑問が曖昧になってしまいました(おいおい!^^;)

「病気を三つもっていくんだ」という子どもがいて、チルチルが「それからなにするの?」と聞くと、子どもは「それから?・・・死んでしまうのさ」と答え、「それじゃ生まれたってつまんないな」というチルチルに対し、子どもは「そうきまっているんだもの、しかたないさ」と答えるのです。なんとも虚しく話は終わってしまいます。

うーん、何だったんだろう。。。
しばらく頭を整理してみたところ、、、子どもの頃の私は、「病気を持っていく」というのを、「新しい病気を持っていく」と思っていたようです。「しょうこう熱と、百日ぜきと、はしかと・・・」って、ちゃんと書いてあるのですが、なぜか新しい病気を持っていくと思っていました。ほかの子どもたちが発明とか発見とか、新しいことを持って行くので、新しい病気だと思ったのでしょうか(はしか等が発見されるより前の時代の話と思っていたとか)。
なので、「新しい病気を持っていく」という役目の子どもがいることに何か意味を感じて記憶に残ったように思います。
大人になって読み返したとき、「あれ? 新しい病気じゃなかった」ということに、まず違和感を覚え、さらに「病気を持っていくこと」が単に「しかたのないこと」として描かれていることに落胆した、ということのようです。
子どもの頃の記憶が長年の間に変形してしまい、勝手に意味を持たせていただけかもしれません。。。

というわけで、なんとも竜頭蛇尾な結論でしたが、改めて「青い鳥」を読む機会となったのは良かったと思います。児童文学を侮るなかれ、ですね。堀口大学訳も読んでみたくなりました。

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自己紹介:
技術屋から翻訳屋に転身しようと、退職。
とりあえず、安定して翻訳の仕事を貰えるようになりましたが、まだまだ駆け出しです。胸をはって「翻訳家です」と言えるまで、日夜修行中(?)の身です。
趣味は音楽鑑賞と城めぐり。月平均 1 回以上のライブと登城がエネルギー源です!
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